今回のオーナーズインタビューは、専業大家として不動産賃貸業を経営しているFさんの物語です。
目次
- Fさんは不動産賃貸業界に関わる前、モノ作りの技術者だった。
- 専業大家として活動するまでのFさんは、いったい何をしていたのか??
- 2008年リーマンショックで製造業界が一変
- 経営再建の為に、会社がとった手段はリストラだった
- ふと、思い出した本は「金持ち父さん 貧乏父さん」だった
- 「実家の事業を引き継ごう!」と決意!覚悟を決めて、不動産賃貸業の道へ
- いつかこのアパートを改装しよう!
- Fさんが始めに手掛けた仕事は・・ボロボロアパートを改装工事!
- ボロボロのアパートには、それに見合った入居者が付く
- この一連のトラブル以後、Fさんは不動産賃貸経営に持論を持つ。
- 賃貸経営にとって最も難題な「仕入れ」との葛藤
- 三木章裕氏「空き家を買って、不動産投資で儲ける!」から学ぶ
- 投資家の価値とは何か?Fさんが目指す投資家の道とは?
- 全国古家再生推進協議会との出会い
- 初めて参加した古家見学物件ツアー
- Fさんは何故そこまで、1件目の購入を急ぐ必要があったのか??
- 2016年5月までの購入物件は5件。プランナー最速のスピード!
- Fさんが思い描く今後の不動産賃貸経営のために
Fさんは不動産賃貸業界に関わる前、モノ作りの技術者だった。
Fさんは不動産賃貸業界に関わる前、モノ作りの技術者として、最先端の技術開発に葛藤する毎日を送っていた。その姿はまさに、以前ドラマで流行った「下町ロケット」と通ずるものがある。
私はどうしても気になる事があったので、Fさんに質問した。
「モノ作りの世界から何故、不動産賃貸業へ転職したのですか??」
Fさん:「ただ、なんでもやりたがり屋なのですよ」
なんとも自嘲的な答えながら、大きく笑ったFさん。だが、Fさんの話しを聞いている内にわかった事があった。
「この人は挑戦者だ。」
人生をチャレンジャーとして生き抜くFさんには、どのようなストーリーがあるのか・・・
専業大家として活動するまでのFさんは、いったい何をしていたのか??
Fさんが、本格的に大家業を始めたのは、今から3年前、2013年の頃だった。
それまでは、製造業の技術者として約20年間サラリーマンとして過ごしてきた。Fさんが配属されていた仕事は「開発」だった。品質管理はミクロ単位の公差を測るほど厳しく、毎日神経を研ぎ澄ませ骨身を削って、商品開発に没頭する仕事であった。
Fさんが所属する開発部署の技術者達は、当時、日本経済を揺るがした、爆発的な大ヒット商品「携帯電話(ガラケー)」のある部品を作っていた。Fさんの会社はその中でも業界トップの最先端の技術を持っていた。その部品においては“業界No1”と言えるくらいの自信もあった。しかし、携帯電話の市場規模は計り知れない大きさであるため、ライバル社達の参入も早かった。
Fさんの会社が業界トップの技術で商品を作れば、ライバル社達はその技術を真似て、更に新しい商品で参戦する。企業間でシェアを激しく奪い合う“赤い海(レッドオーシャン)”の争いだった。
携帯電話市場が急成長する裏側では、技術者達の“戦い”が繰り広げられていた。「あの時はほんとに、携帯電話の戦国時代だったな」と、Fさんは当時を振り返る。
2008年リーマンショックで製造業界が一変
2000年以降に携帯電話の市場はピークを迎え、Fさんの会社も急成長した。
当時の製造業界の合言葉は「とにかく良いモノを作れ」。良くも悪くも、みんな愚痴をこぼしながら、課題だらけの技術開発に全力を尽くした。それは「ライバル社には絶対に負けない」、技術者としての意地でもあった。
しかし、2008年9月に日本の経済が一変する事件が起きた。リーマンショックだ。
その時はFさんも会社も大きな打撃を受けた。会社は急成長から急降下し、業界の合言葉も「とにかく良いモノを作れ」から「とにかく安く作れ」に変わっていった。大手メーカーは次々と海外へ製造工場の移転を決め、日本の経済は「高品質」より「安価」なモノ作りを求めた。
経営再建の為に、会社がとった手段はリストラだった
Fさんが最も辛かった出来事は仲間達のリストラだった。
会社は「経営再建の為に」と、Fさんの仲間達に次々とリストラの命を下した。その一人に、技術者として尊敬の念を抱いていた元上司もいた。だが、更に酷い仕打ちもあった。それが「部署丸ごとカット」だ。つまり、その部署に努める社員全員がリストラにあったのだ。
リーマンショック以降は、会社に不信を抱きながら働き続けるFさんだった。
それは、「いつか自分がリストラになるかも知れない・・」という恐れより、この会社この業界に身を置く限り「成長」と「後退」の波は、必ずまた訪れるという不安だった。
もう一つ、サラリーマンの立場であれば、上の意見や指示は絶対である。命令が下ると、ただただ働き続けるロボットでしかない。
「自分の人生は本当にこのままでいいのだろうか?」
この瞬間にFさんは、本当にやりたい自分の仕事を見つけようと、チャンスがあればいつでも会社を辞める覚悟を決めた。
ふと、思い出した本は「金持ち父さん 貧乏父さん」だった
「本当にやりたい事を見つける」と、言ってもなかなか見つからないのが現実である。Fさんは苦渋の思いから抜け出せない。そんな時に昔、読んだ1冊の本を思い出した。
2003年、友人の薦めで読んだ「金持ち父さん 貧乏父さん」だった。(ここでは、この本の内容を語らない)
Fさんが特に感銘を受けた話しが2つある。
1つ目は、悪い借金と良い借金の話し。住宅ローンや車のローンがいかに負債であるかを説いた話しである。2つ目が、「仕事の為に努力するのではなく、資産作りの為に努力する」と、説いた話である
この本を読んだFさんは早速「金持ち父さん 貧乏父さん」の手法を実践していた。今思えば、「金持ち父さん 貧乏父さん」に出会った2003年から、資産を運用する生活への憧れはあったと語るFさんであった。
「実家の事業を引き継ごう!」と決意!覚悟を決めて、不動産賃貸業の道へ
Fさんは独立願望が強く、チャンスがあればいつでも会社を辞める覚悟でいた。しかし、会社を辞めるにしても、今持っている技術で独立することは現実的に厳しいとわかっていた。
いっそのこと、独立を諦めて別の会社に就職することも考えた。むしろ、Fさんほどの技術者なら、大手メーカーからのヘッドハンティングも期待できる。だが、それではFさんの気持ちは満たされなかった。
この時Fさんは40代前半。何不自由ない順風満帆な暮らしをしている家族もいる。しかし、なんだか煮え切らない自分がいる。
「茨の道であっても自分の実力を試したい」
これがFさんの本当の気持ちだった。
Fさんは、密かに実家が経営している不動産賃貸業に目を向けていた。
Fさんの実家は、旅館業を本業とし、並行してアパート賃貸業も経営していた。が、しかし、2009年に本業の旅館業は正式に廃業が決まった。
アパートの賃貸経営だけを残し、Fさんの両親が会社の経営を行っていたが、残されたアパートは目も当てられない状態である。入居率は3割、つまり7割は空室の状態だった。
いつかこのアパートを改装しよう!
Fさんは、このアパートを改装することから不動産賃貸業として独立することを決意した。
今の仕事より給料は下がるが、生活ができないレベルではない。むしろ、満室にすれば「金持ち父さん 貧乏父さん」の生活も夢じゃない。
Fさんは自分1人奮起し、これからはこの「会社を経営しよう」と、不動産賃貸業の将来図を勝手に構想した。そして、当時代表を務めるFさんの父親に、何の前触れもなく事情を打ち明けた。「今の会社を辞めます」と。
ちょっと待て・・・
それが父親からの一言だった。もちろん驚きのリアクションから出た言葉だ。
しかし、Fさんは引かない。辞めると覚悟を決めて父親に申し出たからだ。Fさんは説得に出る。
「どうしても不動産賃貸業をやりたい」
父親は腑に落ちない様子だが、Fさんの気迫に負け説得に応じた。20年間努めた会社を辞めたFさんは、実家の会社の工事部への就職が決まった。
Fさんが始めに手掛けた仕事は・・ボロボロアパートを改装工事!
実家が所有するアパートは、見事に酷い状態だった。外壁はボロボロ・蛍光灯はまばらに点灯・雑草は生い茂っている。加えて2/3は空室である・・・そんな状態にもかかわらず、Fさんの両親は、管理会社にアパートの管理を任せっきりで全く関心がなかった。
これはダメだ・・。
Fさんは始めに、入居者を付ける為にやらなければいけないことをいくつか洗い出した。
当然、建物のメンテナンスは最優先事項だ。誰だってこんなアパートに住みたいなんて思わない。Fさんは知恵とアイデアを振り絞り、空室対策を考案した。
空室状態の本質的な問題はボロボロのアパートではなかった。
Fさんは自身が考案した空室対策のプランを片手に、管理会社へ乗り込んだ。だが、管理会社からの返答は意外にも前向きではなかった。言葉の端々に「今の状態を変える必要はない」とも、受け取れる表現がある。
今の人間関係を断ち切るしかない。
Fさんの会社は賃貸収入があって初めて経営が成り立つ。もちろん管理会社も承知の話しである。なのに、今の状態を変える必要はない??
オーナーが改革を打ち出しているのに、それを阻止するような対応をするなんて、その管理会社は確かな会社と言えるだろうか?Fさんは納得がいかない。現状を打破し、新しい道を切り開く為にも、昔からの風習を断ち切るしかないと決断した。
ボロボロのアパートには、それに見合った入居者が付く
ちょっと話しは脱線するが、Fさんがアパート改革にこだわる理由には、入居者とのある出来事があった。賃貸業を始めた当初、ボロボロのアパートであっても、空室の状態だけはなんとかしなければならないと、悩んでいたFさん。その時は、不動産屋と一緒になって必死に入居者付けに努力、専念した。そして、半ば強引な勧誘もあって、ある1人の入居者が決まった。
こんなアパートに・・・
しかし、早々と問題が起きた。初めは家賃滞納だったが、問題はそれだけはない。その入居者の生活習慣は最悪で、部屋の扱いは言葉では言い表せないほど酷い。追い討ちをかけるかのように、その入居者はその後退去し、結果的に大赤字になったのである。
この一連のトラブル以後、Fさんは不動産賃貸経営に持論を持つ。
「ボロボロのアパートであれば、その状態に見合った入居者しかつかない。ズバリ不良入居者のことだ。『自分が理想とする客』つまり優良の入居者に付いてもらう為には、その人達が“住みたい”と思う“安心で快適な暮らし”を提供しなければならない。だから、貸家はボロボロのままではいけない。優良入居者に選ばれる為の部屋創りにこだわり、妥協はしない。」
この言葉にはその昔、商品開発に全力を尽くした、技術者Fさんの仕事への姿勢があった。
「日本トップクラスの技術を駆使していた過去の経験が、今の仕事に活かされている」と、Fさんは語る。
賃貸経営にとって最も難題な「仕入れ」との葛藤
Fさんが所有するアパートの改装工事は、ある程度完了した。次は事業拡大へ、行動計画を実践する時だ。賃貸経営にとって「仕入れ」は事業の元となる基本である。つまり、賃貸として貸し出す物件が必要である。
Fさんが求めている物件はマンションやアパートの1棟物であった。だが、不動産の高騰もあり、利回りが低すぎてとてもじゃないが手が出ない・・・
ボロボロアパートの改装工事を経て、修繕費用や入退去のリスクは誰よりも理解している。いくら銀行がお金を貸してくれようとも、いずれ失敗することは目に見えている。物件の仕入れに頭を悩ますFさんであった。
三木章裕氏「空き家を買って、不動産投資で儲ける!」から学ぶ
Fさんはある友人からの誘いで、2015年10月にインテックス大阪で開催される「賃貸住宅フェア」に参加することを決めた。せっかくイベントに参加するなら予習しておこうと、イベントでセミナーを行う三木章裕氏(協議会、顧問)の「空き家を買って、不動産投資で儲ける!」を購読した。
Fさんは、この本を読むまでは戸建てに興味がなかった。
戸建は1つの物件で、購入・リフォーム・管理と、手間と時間ばかりかかってしまうと思っていた。戸建に比べて、1棟物の場合は、1回の契約で複数の収入が直ぐに入ってくる。賃貸経営の効率を考えれば「即現金」は非常に魅力的である。
しかし、その反面リスクも大きい。戸建てに比べると、物件の購入価格は1つか2つ桁が多い。つまり、1棟物の不動産購入を失敗すると「次もがんばろう」じゃ済まされない。「下手をすれば自分の会社は・・・」と、その不安はいつも脳裏につきまとっていた。
投資家の価値とは何か?Fさんが目指す投資家の道とは?
Fさんの不動産投資の仲間の中には、生涯の富を築いた成功者もいる。しかし、成功者だからと言ってハッピーな人生を送っているかと言えばそう言う訳でもなかった。多くは語らないが、平たく言えば「幸せ」と同じくらい「恐怖感」を持っていた。
いったい何故だろう??
不動産投資家にとって、物件を増やす事は一つのステータスである。お金をいっぱい持っているのに、みんなが思い描くような幸せはない。
「それはいったい何故だろう?」と考えた時に、その原因はやっぱりリスクがあることだとFさんは察した。同時に「自分の目指すべき道もそこではない」と考え直した。
そのように思い悩んでいるタイミングで、三木章裕氏の「空き家を買って、不動産投資で儲ける!」の本に出会った。
「少額資金且つ低リスクで始める古家不動産投資」・「小さく長く資産を築く」・「古家戸建の投資術」など、今までなかった投資の考え方に、Fさんは胸が熱くなった。
全国古家再生推進協議会との出会い
賃貸住宅フェアには、Fさんがお目当てにしていた三木章裕氏のセミナーブースがあった。
その隣に古家不動産投資を専門に活動している「全国古家再生推進協議会」(以下、全古協)のブースがあった。Fさんは「本に書いてあったところだ」と、三木章裕氏の本を思い出した。
全古協のブースでは、代表理事の大熊重之氏がプレゼンテーションをしていた。古家再生の実績・低リスクの事実・高利回りの理論、何より当の代表理事自身が古家不動産投資で成功していることに驚いた。
賃貸住宅フェアの後に、セミナー講師の方々と親睦を重ねる食事会があった。Fさんは期待を膨らませ、その食事会に参加する事にした。
全古協の大熊重之氏の話しは、とても魅力的で興味をそそるものがあった。経験からだろうか、古家再生を楽しそうに語る目は、不思議と輝いているようにも見えた。
大熊重之氏から「今月末に大阪で全古協の説明会がある。予定が空いていれば、ぜひ参加してください」と提案があった。Fさんは、食事会の帰り際に、誘いを受けた説明会へ早速申し込みをした。
「順番が逆」の古家再生投資プランナーFさん
Fさんはまれにみる「順番が逆」の古家再生投資プランナーだ。
順番が逆??
通常の流れだと、月に一度開催される、古家活用説明会か、何かしら全古協の概要を知った上で古家再生投資プランナー(以下、プランナー)へ申し込まれる方が大半だ。
Fさんの場合、プランナーに申し込みをしてから、古家活用説明会に参加をした。つまり、順番が逆なのである。
順番が逆のプランナーはみんな共通した特徴がある。それは「本気度」が違うことだ。「絶対に古家不動産投資で成功するぞ!」と意気込むあまり、プランナーへの意欲が高くなる。協議会の立場からすると、プランナーとして頼もしい人達だ。
初めて参加した古家見学物件ツアー
その意欲はすぐに形になった。2016年の古家見学物件ツアー(以下、物件ツアー)からは、当日見学した古家物件を、その場で購入できるシステムにしたのだ。協議会からの紹介物件なので、一般公開している物件よりは、優良であることは間違いない。
2016年1月。古家見学物件ツアーin大阪では5件の古家物件を見学した。Fさんは、そこで再生前の物件より再生後の物件に関心を持った。
ボロボロの物件は以前Fさんが所有していたアパートで十分に経験していたので、それよりも再生後の物件に興味を惹かれた。壁に色を塗るリフォームや、壁に龍の絵を書く奇抜なデザインの物件に、思わずFさんは舌を巻いた。
気持ちは熱いが、じゃんけんが弱かった・・Fさん
物件ツアー後は、見学した3つの物件の購入が始まる。例えると古家不動産の“競り”だ。見学物件に興味をもったプランナー達が、挙手によって物件購入の意思を示す。もちろんFさんも挙手をした。
1件目・・惨敗。2件目・・・惨敗。3件目・・・・惨敗。
残念。。Fさんはこの日の物件は購入できなかった。
古家見学物件ツアーは見込めない。自分で物件を探してみせる。
悔しさを隠しきれないFさんは「早速リベンジだ!」と、2月初旬に名古屋で開催する「古家見学物件ツアーin名古屋」にも参加をした。だが、そこでも見事に惨敗。。
「まだ終われない!」。物件購入の意欲は収まらず、2月中旬に開催される、古家見学物件ツアーin大阪にもまた参戦!しかし、ここでもまた惨敗・・
悔しい・・こうなったら自分で探してやる!
どうしても古家物件が欲しいFさんは自身で物件を探し始めた。プランナーの名刺を持って、地元の不動産業者を手当たり次第回った。そしてやっとの思いで1件の古家投資に該当する物件を見つけ出し、協議会の古家再生士に物件調査の同行を求めた。
Fさんは何故そこまで、1件目の購入を急ぐ必要があったのか??
Fさんが1件目の購入を急ぐ理由は「勉強」の為だった。さすがにマイナス覚悟で物件の購入は出来ないが、トントンであれば「全然OK」と言う心構えだ。それより、古家投資のスキルを早く身につけたい。その為には「自らの体験が最速で学べる」と、判断したのである。
行動力はすばらしいFさんだが、3月の物件ツアーも、やっぱりじゃんけんで負けたのは、笑い話しである。
2016年5月までの購入物件は5件。プランナー最速のスピード!
Fさんは、古家再生投資プランナーとして模範行動を示す、数少ない認定者の中の一人だ。感心すべき行動は、現在まで購入した5つの古家物件が、全て自ら営業し開拓した物件であることだ。
物件ツアーでのじゃんけんの相性が悪く、購入に至らなかった事実はあるにしても、それが反動となり、プランナーとして行動に出ている。
不動産業者と関係性を深く結び、仕入れの情報も優先的に入るようになった。三木章裕氏の本を読んで気付いた不動産投資で最も大切なこと、それは「業者との関係性」。
1棟物の物件では絶対に不可能だと思っていたことが、戸建てなら実現出来た。
結果的にスピードアップした行動力が、古家を見極める能力に繋がったことはFさんの狙い通りだ。
Fさんが思い描く今後の不動産賃貸経営のために
Fさんは当初から、専業大家業者として協議会のプランナーに申し込みをした。自身の会社の経営の為にも、賃貸物件はこれからも探していかなければならない。不動産賃貸業にとって仕入れこそ生命線である。
今は会社の基盤を作る為にも、古家不動産投資である程度は固める事を考えている。ただ、少額の家賃収入だけで、会社の経営を行うことは出来ない。いずれは1棟物に挑戦する時期も、必ずやってくる。
その時の為にも、今の内から業者との関係性をしっかり築き上げる事が重要であり、また、協議会のように安心して不動産投資をコーディネートしてくる指導者との関係も大事にしたい。
そして、何かあった時にいつでも助け合いが出来て、心の支えになってくれる「仲間」との出会いを大切にして行きたい。そう考えている。